一体学歴社会の何が悪いと言うのだろうか。
僕が高校生の頃、親には必ず大学には行きなさいと言われていた。
高卒だと就職の際不利に働くから、と言う風に説明された記憶がある。
僕の両親が高卒だから、というのもあっただろう。
多くは話さないが、高卒だという事で何かと苦労したのかもしれない。
確かにハローワークやindeedの求人を見てみても、大卒以上の求人は多い。
僕は大学を中退してしまったので、このような求人には応募する権利すら無い。
でも、僕はそれでいいと思っている。
大学を卒業できなかったのは、理由はどうであれ自分自身にしか原因は無い。
それが奨学金が止まったことによる経済的要因であったとしても、
やりようはいくらでもあったのだ。
私立の薬学部では無く、国立の工学部に進学する選択肢もあった。
それならば奨学金を限度額まで借りて、更にアルバイトをする必要も無かっただろう。
アルバイトするはずだった時間を勉強に費やせば、
薬学部の場合に比べて卒業できる確率は高かったに違いない。
でも、僕は自分が私立の薬学部へと進学し中退したことを後悔はしていない。
何故ならその時それが自分にとっての最善の選択だと思ったからだ。
なるべく親に頼らないようにすると思って少し無理をした結果、
このような結果になってしまい親には今でも申し訳ない気持ちがあるのだが。
そういう訳で僕には大卒程度の能力は無いと自分で断言できる。
だって相応の学力を持ち合わせていないのだから。
モラトリアムにおける勉強と言うのは、いわば社会へ出る為の予行演習なのだ。
極端に言えば、学ぶ内容が自分にとって関係の無いものであっても特に問題は無い。
未知の分野を学習し、理解する。
理解して得た知識は試験により点数という数値化された結果として可視化される。
この一連の過程こそが、真に学ぶべき、理解すべき事なのだ。
知らない事を学ぶ方法さえ知っていれば、いくらでも応用が利く。
一度社会に出れば学校で教わったこと以外の事の方が多い。
それをどう学んでいくか?という事を教えられているのだ。
あくまでそれの副産物として、学校で学んだ内容がある。
その学ぶ内容でもなるべく無駄のないように
多くの人間が知っておくべき知識の共通項である、
国語・数学・英語・理科・社会この5教科が選ばれているに過ぎない。
これも今までの共通項であって、今後変化する可能性の方が高い。
現に日本でも小学校でのプログラミング教育の必修化が検討されている。
センター試験(2020年で廃止らしいけど)やその他の入学試験は、
知識そのものではなく、どれだけ学ぶ力があるかを見ていると言う訳だ。
そう考えたら「テストでいい点を取る事」がどれだけ大事か分かるだろう。
勿論それだけが全てでは無いが、 だからと言ってこの重要性を無視する事はできない。
だからこそ、僕は学歴社会は非常に理に適っていると考える。
例外も多く出てくるだろうが、 誤差で片付く程度で概ね正確性は保証されるだろう。
どのような制度でも得する人・損する人はどうしても出てきてしまう。
なので自分がどのような土俵であれば有利に戦えるのかを考えた方が良いと思う。
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