平成から令和へと元号が変わる、僕も変わろう。



次の元号は「令和」らしい。
最初は微妙な印象を受けたが、今では悪くないと思える。

何故微妙な印象を受けたかというと、非常に個人的な事で申し訳ないのだが・・・。

僕は文字をあまり綺麗に書けなくて、僕が書く際にはあまり見栄えが良くないだろうな。
そんな事を考えていたからである。 

元号発表の際の「令」の字や今表示されているのもそうだけれど、
活字であって普段手書きの際の楷書体では無い。
 

僕は平成生まれなので、 平成という元号には少なからず思い入れがある。
昭和生まれの人も平成へと元号が変わる際にこのような感情を持ったのかもしれない。

そういう意味では僕の時代は終わり、新しい時代へと進もうとしている。
だからといった訳では全く無いのだが、僕は転職を考えている。


今の職業は意外だと思われるかもしれないが陸運業に従事している。
しかし僕の通っていた大学では薬学部だった。

薬学部に通っていて陸運業という事で大体察しているとは思うのだが、
端的に言えば学費が払えなくなり中退したといった所だ。

この辺りの経緯はここでは省くが、いずれ書く時が来るかもしれない。

で、今の仕事内容に関して言えばかなり好きな部類である。
単純な作業ではあるのだが、これが突き詰めていくと意外と面白い。

「ここをこうやればもう少し早くなるんじゃないか?」
「この作業の目的は○○なのだから今の時間にする必要は無いな」

このように作業の本質を見極めて自分で色々考察して結果を見ていけるのは
なんだか実験をしているようでとても面白かった。

けれども、労働環境の悪化作業内容が楽すぎるのが嫌になってきた。
前者は言うまでも無いが、後者は疑問に思われるかもしれない。

仕事が楽っていうのは良い事のように思われがちだが、実は違う。
僕の場合、仕事が楽というのはとても苦痛でしかないのだ。

膨大な作業量を自身の創意工夫で乗り切った後の達成感を求めている。
自分の中で「自分だからこそ乗り切れた」と感じていたいのだ。

自分を客観的に見た場合、このような衝動に駆られているのには理由があった。
僕は成長したがっているのだと。

つまり仕事が楽、というのは自己成長の機会を喪失しているといってもいい。
澱んだ水の中でただただ浮かんでいるだけの藻に過ぎないのである。



このまま続けるべきか、転職すべきか?


転職した所で僕にやりがいのある仕事を見つけることが出来るのだろうか?
不安でしかなかった。

かと言ってただこのままこの澱みの中で漂い続けるのもうんざりだ。
本当に僕は一体どのようにするべきなのか考えなければならなかった。

そう悩んでいる時に、友人から転職したとの報告があった。
 
彼は今、医薬品の品質管理の仕事をしている。

そこで僕は自分も転職を考えている、と打ち明けて相談した。
色々話を聞いてみて、彼の仕事は僕の大学時代の実験の経験が活かせそうだった。

僕なら向いてるんじゃないか、という友人の勧めもあり
自分も似たような分野の求職情報を調べてみた。

実験経験のブランクがあるのでいきなり正社員というのは難しそうであるが、
派遣社員としての雇用であればとりあえずの仕事とキャリアを積むのには問題ナシ。

ある程度仕事に慣れてきたら派遣先との正社員としての直接雇用もあるらしい。
 
光明が差した気がした。

次の仕事のアテがある、というのはこんなにも安心感に包まれるものか。
まだ雇用されるとも決まってはいないのにも関わらずに、だ。

案外自分は思った以上に楽観的な人間なのかもしれない。

とにかく、少しだけ前向きにさせてくれたこの可能性は本当にありがたかった。

平成という時代が終わり、令和という新しい時代がもうそこまで来ている。
僕の時代が終わるというのなら、新しい時代に向けて僕も変わらねばならない。

ちなみに友人はもっと早く転職すればよかったと思ったらしい。

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