完璧な人間など存在しない。


昔の僕は「完璧な人間」になりたいと願っていた。

僕自身、主観的・客観的に見ても完璧主義者だと自覚しており
それが社会や他人にとってもそうであるべきだと考えていた。


自分に出来ない事はそのまま自分の弱さになる。
他人に弱さを見せるのが怖かったから、自分でやるしかない。
何故このような妄執に囚われてしまったのだろうか?

この思想の根底には「他人に頼ってはいけない」という 
一種の呪いの様な固定観念に縛られていたからに他ならない。

以前の記事にも少し書いたが、僕は人と関わることに苦手意識がある。

今でこそ分かるが、人はひとりでは生きてはいけない。
その理由は人間の才能の総量はほぼ決まっているからだ。
(この部分に関してはいずれどこかで掘り下げるかもしれない。)

多くの人に当たり前の事だと笑われてしまうかもしれないが、
伝聞ではなく経験として知覚し、悟ったこの過程は僕にとって大きな躍進となった。

共感を得られるかどうかは分からないが、「一周回って理解した」感じだ。

僕の経験上こういう現象が発生した時は、
その件について考える事の終着点に立っていることが多い。
少しニュアンスが違うが、「極めた」と表現するのが一番近い気がする。


つまり僕の目指していた「完璧な人間」 など不可能だと分かってしまった。
才能の総量が決まっている以上、全ての項目を高水準に満たす事は出来ない。


突出した才能を持つならば、それ相応に何かの分野の才能が欠如する。
何かを得ようとすれば何かを失わなければならないのだ。

つまり、何が言いたいのか?


だから人は集まってお互いの苦手な分野を補うしかないのだと。

人は自分には出来ない事を出来ないと諦観し、
助け合える仲間と手を取り合って前向きに生きるべきなのだ。




僕はこの歳でようやく人に頼るという事を覚えた。
他の人から見れば小さな一歩かもしれないが、僕にとっては大きな一歩なのである。

ただやはり誰でもと手を取り合う訳にはいかない。
今のところ、僕が助けられる範囲は手の届く範囲の人達だけだ。

手の届く範囲、つまり身近で信頼出来る人達だ。
僕の場合、家族や数少ない親友達ぐらいの範囲になるだろうか。
(僕は心を開くのが苦手なので、友達と親友はほぼ同義である。)

手の届く範囲の人達も助けられないで、
その範囲外の人達まで助けられるとは僕は考えていないからだ。

だって僕は「完璧な人間」ではないのだから。

 物語のヒーローの様には中々いかないものだ。

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