真面目に生きるという事。
ブログを読んでいるあなたは真面目だろうか?
それとも不真面目だろうか?
僕は自分では不真面目だとは思っているのだけれど、
他人の目にはどうやら真面目に見えるらしい。
多くの物語では真面目さや勤勉さが美徳とされているように思える。
自己犠牲的精神や勧善懲悪なども非常に好まれている印象だ。
勿論自称読書家の僕はそういう言わば「王道」のようなストーリーも
嫌いでは無いのだけれど。
でもそれは物語であるから楽しめるのであって、
現実でもそうか?と問われるとそうではない。
ではなぜそれほどまでにこれらは崇拝されているのだろうか?
僕が思うに、それらは多くの人の願望や憧憬のようなものだからだ。
現実はそれ程甘くはない。
デウス・エクス・マキナのような舞台装置はこの世には存在しないのだ。
大体結婚式のゴンドラですら僕は見たことないし。
敬虔な信者であれば己が信ずる神に救いを求めるのかもしれないが、
僕は信心深くないのでそういった事はしない。
(僕は宗教自体は全然否定的ではないし、精神の柱のようなモノだと思っている。)
そういう意味ではディズニーランドのような非日常感に似ているだろうか?
僕は捻くれてるのでテーマパークも素直に楽しめないけれど。
そんな捻くれ者でも、社会には適合しなければならない。
そして社会は真面目さや勤勉さを美徳としている以上、
僕は自分を偽ってでも真面目に振舞っているのだ。
そんな意識がある以上、僕の思っている真面目さとはまるで違うので
自分では真面目だとは思っていないという事だ。
でも、「真面目」に生きてきて思うことがある。
それはなんて生きるのが楽なんだ、という事だ。
日頃真面目であれば何かミスをしても大目に見てくれたり、
自分への評価が過大に評価されている印象も受ける。
そういった事がある度に少しだけ罪悪感のようなものが芽生えるのだが。
そんな良心の呵責から自分はそんな人間じゃないですよ、と言ってみても
これもまた謙遜として受け取られ更に真面目さに拍車がかかるのである。
ありがたい事なのだが、その一方で申し訳なさを感じる。
悪い事はしていないのだが、僕は人に何かされる事に慣れていないから一層そう感じる。
(そう感じる時点でもう真面目じゃん!って言われたら、僕は真面目の定義が分からなくなってしまうのだが。)
この一点に目を瞑れば、これ程楽な生き方はそう無いだろう。
誤解しないで貰いたいのだが、真面目に生きる事が悪いのではない。
僕が言いたいのは・・・。
真面目に見える人間も頭の中まで真面目かどうかは分からないよ
って事だ、僕のようにね。
真面目そうに見えていても、魂胆までは分からない。 |
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